法テラスを退職して知人の事務所に入り、半年ほど経った時のことだったでしょうか。
事務所にとある少年事件が持ち込まれました。
中学生の男子が、幼稚園に通う女の子をトイレの公園に連れ込んで下着を脱がしたという事件でした。
身体拘束はされておらず、任意で事情聴取がされている状況でした。
母親は示談して少年を不処分にしてもらうことを望んでいました。
私は、その母親に、少年を精神科に診てもらうことを強く勧めました。
少年事件の場合、この手の事件では示談だけで不処分になることはまずなく、精神的・心理的な部分についてフォローすることの必要性は高かったからです。
しかし母親は、自分の子供を私が異常者扱いしていると思って立腹し、契約を解除して刑事事件の経験が浅い他の弁護士に乗り換えました。
母親は「握りつぶすこと」しか考えていませんでした。
ジャニー喜多川氏に関する連日の報道を見て、私はこのことを思い出しました。
彼は、20代の初め頃には、もう日本で、若い男性に手を出していたようでした。
私の想像ですが、おそらくはそれ以前から、そういう行為に及んでいた可能性もあるのではないでしょうか。
そして、家族は、そのたびに何らかの方法で握りつぶしてきたのでしょう。
そのため彼は、自分の行いが「許されるもの」だと学習してしまった。
そして、ジャニーズ事務所の社長となり、自分自身が握りつぶす権力を持つようになってからは、もう何の気兼ねもなく、加害行為を重ねることができるようになってしまったのでしょう。
数え切れない回数の加害行為に及んだのには、そういう背景があったように思います。
もし、最初の段階で、家族が握り潰さず、何らかのケアを受けることができていたら、彼は性加害を繰り返す人生を送らずに済んだのではないかと思います。
もちろん、彼が若かった頃は、依存性や異常な性的嗜好に関する医療的アプローチはまだまだすすんでいない時代でした。
その意味で、もし、家族が握り潰さなかったとしても、十分なケアを受けることができなかったかもしれません。
ですが、許されることなく刑事罰を受けることがあれば、ジャニーズ事務所の社長にはなっていなかったかもしれないし、なったとしても解任されたでしょう。
もし再犯を繰り返せば刑務所に度々入ることになり、シャバで悪事を働く機会は失われたでしょうから、やはり現実とは全然違った結果になったと思われます。
被害者の人たちは、「見て見ぬ振りをした」ということで「会社」そのものに大きな責任があるという考え方をしているようですが、私は、ジャニーズ事務所設立以前の段階に遡って、家族を中心とする周囲の人の対応に問題があったのではないかと考えています。
ジャニー喜多川という人の人格に関しては、所属タレントを中心として、「自分が見ていた姿と違う」と言っている人もちらほらいるようです。
おそらくはそう言いたい人はもっとたくさんいるのではないかと思いますが、現在の世論の状況から、なかなかそういった発言はできないのかもしれません。
しかし、私はこの「自分が見ていた姿と違う」という話もとてもよく解るのです。
もう7、8年前になると思いますが、私は、性的暴行を繰り返し何度も刑務所に入ってきた1人の青年の弁護を担当したことがありました。
夜遅く通りすがりの女性を襲うやり口は本当に非道で、前回の罪の刑を終えて出てきたと思ったら、半年もしないうちにまた繰り返していました。
しかし、接見の時に私の前に姿を表した彼は、ちょっとシャイでサッカーのクラブチームのユニフォームが好きな、ごく普通の若い男性でした。
むしろ性格は生真面目で、たくさんの刑事被告人・被疑者を見てきた私でも、「うーむ、この人があれをするとは信じられん」と思ったほどでした。
だからこそ、彼が犯罪行為をすることに関して、私は病的なものを感じずにはいられませんでした。
そして、彼もまた、それ以前の加害行為について示談だけして終わってしまい、医療的なアプローチを一切されることがないまま、来てしまったのでした。
ジャニー喜多川氏が優秀なプロデューサーで、所属タレントに対して真剣に向き合う側面がある人物であったこともまた現実だと言えるでしょう。
この姿が虚像であった訳ではありません。
優秀なプロデューサーであり、非道な性犯罪者でもあったのです。
だからこそ、私は、彼に対してもまた病的なものを強く感じるのです(実際事務所の記者会見でパラフィリア障害と言われていたようです)。
(彼がしたことを容認するわけではありませんが)病的なものは、治療しない限り、自分ではどうすることもできません。
その人ひとりに任せては、治療へのモチベーションが出てこないことも少なくないでしょう。
自分と向き合った孤独な戦いをしなければならないのですから、どこかでまた心が折れてしまう可能性が高いです。
きっかけづくりやサポートも含めて、家族をはじめとする周囲の人間の助力が不可欠なのです。
握りつぶすことだけを考えてそういうサポートを受けられなかったがために、ジャニー喜多川氏はモンスターになってしまいました。
そういう意味で私は、彼もまた被害者だと思うのです。
性犯罪は、性犯罪者に対して厳しく対応するだけではなくなりません。
そういう認識が日本では浸透していないように思います。
ジャニー喜多川氏の件をもっと深く掘り下げて、性犯罪を減らしていくために必要なことは何かを、日本全体が考えていく必要があると感じています。