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自分以外の弁護士って、どんな食事をしているんだろうと、ふと考えることがあります。
サラメシではないですけれど、特にお昼ご飯は、みんな、どんなシチュエーションで何を食べているんだろうと思うことがあります。
今日は、テラバヤシが弁護士になってからのお昼ごはんについてお話ししようと思います。

一番最初に勤めていた都内の事務所では、事務員さんが午前のうちに、弁護士の希望を聞いて、お昼を買ってきてくれて、所内にいる弁護士が会議室1つを使って、そろってお昼を食べていました(今も続いているんでしょうか?)。

ご飯を食べながら世間話…が普通ですが、事件処理の話とか個別の事件の相談になることもあり、新人だった私にとっては、楽しみだったし、勉強になる時間でもありました。

名古屋の法テラス愛知法律事務所にいたときは、地方事務所側にある休憩室で、地方事務所の職員さんたちと一緒にテーブルを囲んでお昼を食べていました(注:法テラスでは、多くの場合、法律事務所と地方事務所が同じ建物内に入っています。地方事務所とは、国選の刑事事件の配転や民事法律扶助の無料相談等を行っている部署…とざっくり考えてください)。

法テラス愛知は、全国の法テラスの中でも珍しく、地方事務所と法律事務所が同じフロアにあって、廊下一本でつながっていました。
地方事務所の職員の方は、お昼ごはん時、外に食べに行く人もいましたが、買ってきたものや家から持ってきたお弁当を休憩室で食べる方も結構いました。

私は、裁判や接見で外にいるとき以外は、この休憩室で地方事務所のみなさんと一緒にごはんを食べることがほとんどでした。
休憩室にはテレビがあったので、お昼のワイドショーを見ながら世間話をしてリラックスする…ということが多かったような気がしますが、同時にこの時間は、貴重な情報交換の時間でもありました。

法テラス愛知では拘置所や刑務所からの法律相談の依頼が地方事務所に届けられることが多く、採算に乗らない仕事だったため、スタッフ弁護士だった私が対応することも少なくありませんでした。
このような法律相談への対応は、通常の法律相談とは異なる配慮が多々必要だったこともあり、お昼の時間を利用して、職員の方とよく相談しておりました。

東京に戻ってからは、自席でお昼をとることが多くなりました。最近は、事務所でお昼のときには、なるべく自宅からお弁当を持ってくるようにしています(ごくごく簡単なものですが…)。

今の事務所は、作りがこじんまりしているので、自席で食事をしていても、お弁当を食べながらコミュニケーションを図ることができ、のんびりした気分にもなれます。一見、寂しそうなお昼に見えるかもしれませんが、自分では結構気に入っている時間です。

1月から2月にかけて長丁場の裁判員裁判に関わっていたときには、相弁護人(一緒に弁護活動を担当する弁護人のこと)と一緒にお昼をとることがほとんどでした。

弁護士会館や裁判所(地裁の食堂は***なので、喫茶の方に行っていました)のこともあれば、少し時間があるときは、ちょっとだけ足を延ばして法曹会館までランチに行くこともありました。

午前の尋問でどんな問題があったか、午後の尋問でどう対応するか…いろいろ打ち合わせながらのお昼でしたが、不思議とストレスがたまるようなことはありませんでした。
食事をしながらだと、深刻な話も、ごちそうと一緒に消化してもらえるのかなあ、なんて思ったりします。

こういう風に考えてみると、弁護士として働くようになってからのお昼には、常に「仕事」やいっしょに仕事する人とのコミュニケーションがくっついているんだな、とつくづく感じます。

そして、これって、案外どんな仕事でも、同じことなのかもしれません。






# by terarinterarin | 2014-06-16 20:00 | Comments(0)
私、この4月から「シェアしたくなる法律事務所」(以下「シェア法」といいます)というサイトで、法律問題に関する様々なネタ(旬なもの、旬でないものを含めて)、時折執筆させてもらっています。

元々は、当事務所の代表川浪弁護士が登録しており、自分も紹介してもらったという経緯で執筆陣に加わりました。

このサイト、執筆者の弁護士側からもネタを提案することはできますが、基本、サイト側から「このお題で書いてください」と依頼が来ます。

登録してしばらくの間は、割と堅いネタ、地味なネタの依頼が多くきました。例えば「高齢者の万引き」とか「PTA加入の圧力問題」とか、トピックス的なものでも「韓国船沈没事故について船長が殺人罪で起訴された件について日本ならどうなるか」というハードなものです。

どうしても内容が堅く長くなりがちなのを、なるべくなるべくソフトにソフトに、無駄な言葉は省いて…と心がけながら書いて、5月下旬ころに「あ~、少し慣れてきたなあ」と思い始めた矢先のことでした。

「口パクや当てぶりは違法じゃないのか」というネタを依頼されました。
その何日か前に、TMNの木根尚登さんが「(あの大ヒット曲)GET WILD、実は自分で弾いてませんでした」と言ってしまったことを受けて、の依頼でした。

内容としては、かなりおおざっぱにいうと、「原則問題なし、場合によっては違法になりうる」ということを書いてサイト側に提出しました。

公開された日の夕方のことです。
この日は仕事の都合で、昼から夕方5時過ぎまでメールをチェックすることができませんでした。
5時過ぎにチェックしたところ、サイト側からメールが来ていました。
「寺林先生の書いた記事が、大人気です」みたいなタイトルだったと記憶しています。

「は?」と思って、内容を読んだところ、上記の記事がYahoo!トピックスで取り上げられて、PVがすごく伸びている、というのです。
びっくりして、さっそくYahoo!にアクセスしたところ、確かにトピックスに上がっている…

私、そこで、コメント欄を読んでしまいました。

「この寺林って弁護士、アホじゃね!!」
「TMNのファンは、そんなこと昔から知ってたよ!!」(実際、かなり有名な話だったようです。)
「こんなことで違法になんのかよ!!ジャ○○ズとか、A○○とか、いまどきみんなあたりまえじゃねえか!!」

くらいはまだおとなしい方で、ちょっとここには書きがたい強烈な内容のコメントが、かなりな数、寄せられていました。

しかも、私もよせばいいのに、数時間ごとにアクセスやコメントを確認してしまったりして、強烈な内容の数が莫大に膨れ上がっているのを目の当たりにしてしまったわけです。

もう、なすすべなし。
どんどん増えていく辛辣なコメントを目の前に「お~、すげ~」という感想しか持ちようのない状況になっていきました。

そして、思い出したのでした。サイトの運営者の方から「結論は先に書いてください」と言われていたことを。
案外、タイトルとか最初の数行とかで、皆さんコメント書くんだなあと、この時実感したのです。
長い長い受験時代に身についた「演繹法的な書き方」が、ここで足を引っ張っていたのかもしれない…

さらに、私を若干戦々恐々とさせた事情がありました。

翌日公開予定のネタが「AKB48総選挙の使用済みチケットがヤフオクで高額買い取りされた件は違法ではないのか」というものだったのです。
結論としては「詐欺になる可能性高し。ならなくても返金の必要性ありでしょう」というものでした。
事務所では、乾いた笑いの中、「殺害予告のメールくらい来るかもねえ」などと話しておりました。

が、実際、AKBのネタについては、Yahoo!トピックスなどに取り上げられることもなく、殺害予告もありませんでした。

ただ、「2ちゃんねるで話題になっている」という情報が寄せられたので、チェックしてみました。
確かに、1つスレッドが立っていて、私の記事が取り上げられていました。

きちんと全文コピペされた上で(たまに「こいつアホじゃね」くらいはあったものの)、「やっぱり本質はここか」みたいな話がされており、(2ちゃんねるにしては、という留保付きではありますが)極めてまっとうなやり取りが繰り広げられていたのでした。

木根さんのネタを書いたことによって、web記事を書くことで突然ある意味「時の人」みたいになっちゃうという洗礼も受けましたし、web特有の書き方があるということも学びました。他にもいろいろ学んだことはありますが、長くなるので割愛しますけど…

ちなみに、この記事のおかげで琥珀法律事務所のHPのアクセスは、瞬間最大風速的に伸びたそうですが、それが依頼・受任につながったということは全くありません。

仕事は地道につかむものなのであります。


# by terarinterarin | 2014-06-13 17:42 | Comments(0)

刑事弁護とワタシ

同じ業界の人で、私のことを知ってくださっている人の多くは、

テラバヤシといえば刑事弁護、

というイメージでとらえているのではないかと思います。

もちろん、G先生とか、T先生とか、K先生とか、M先生とかとかの名だたる刑事弁護の大家には、到底足元にも及びません。
それに、日本全国には、中堅や若手にも、熱心で優秀な刑事弁護人がたくさんいます。話を聞いていて、その熱心な活動ぶりに頭が下がることも少なくありません。

それでも、初対面の方にお会いして名刺をお渡しするときに「あ、刑事弁護の…」と言われることが、たまにあります。当然、うれしかったりします。刑事事件の数をある程度こなしてきたし、自分なりに「結構頑張ったよなあ、あの事件…」などと振り返ることも、たまにありますので…。

一番刑事弁護の数をこなしていたのは、法テラス愛知法律事務所での勤務を始めて、ちょうど1年過ぎたころから2年目あたりまでだったように思います。
裁判員裁判が始まることとなり、それなりに罪名が重い事件もだんだん任されるようになってきました。

同時期に殺人事件と殺人未遂事件と訳アリの窃盗事件を抱えることになり(しかも、前2者は捜査中)、3つの警察署を接見のために梯子して、連日帰宅が深夜…などということもありました(当時はそういう生活がうれしくて、たいして苦にもしていませんでした。今は、こんな生活はもう体力的に無理だなあ…としみじみ感じています。年齢って怖いものです)。

刑事事件と民事事件、違うところを1つ挙げると、その事件や被疑者・被告人と関わる期間が限られていて、受けた時からある程度終わりの時期が見えることが多いというところかなと思います。

もちろん、再逮捕・追起訴が予想以上に続いたり、争点が複雑だったりして予想外に事件終了までの期間が延びることはあります。
が、起訴されずに、あるいは罰金で事件が終了する事件も少なくなく、そうすると、その方とは20日そこそこのお付き合いになります。
1個の事件だけで逮捕勾留されて起訴された場合には、すべて認めている事件だと、1審判決までの1か月半から2か月くらいのお付き合いで終わってしまいます。

しかし、その間に濃密な関わりをすることもそれなりにあり、事件が終わった後も連絡を頂いたり、思わぬ関わりができたりすることもあります。

担当した方が、後日、お手紙をくださることがたまにあります。

私は、一番最初に担当した国選事件の被告人だった方から、事件終了後にお手紙を頂きました。
まだ20歳そこそこの若い男性でした。
やった事件がまあまあ重い罪名で、かつ、少年時代の前歴もあったために、実刑判決が避けられませんでした。
判決後に控訴するかしないか相談するために面会した際「控訴しないで早く服役して帰ってきます」と告げられ、「では、体に気を付けて元気でやってくださいね」と別れました。

10日後くらいに「お礼を十分にいえなかったので」とお手紙をくれた時には、びっくりしました。
今でもその手紙は大切にしまってあります。

うれしい便りだけならいいのですが、受刑先の刑務所で受けた扱いに関する相談の手紙も時折届きます。
やはり、新人の頃に担当した事件の方(男性)からでした。
この方は、重い病気を患った状態で服役しなければならなかったため、裁判で情状を主張するためにかかりつけ医から診断書を取得していました。
私は、判決後にこの診断書を本人に渡し、受刑先の刑務所で提示するように伝えました。検査や何らかの治療をしてもらうようにするためでした(放置すると受刑中に亡くなりかねない病名でした)。

受刑先の刑務所から、「何度お願いしても検査すらしてもらえない。どうすればいいだろうか」という相談の手紙が来ました。
病気は重くなっているようで、一刻も早い治療が必要な状況でした。

この件については、受刑先の刑務所の近くにある弁護士会の人権擁護委員会というところに「人権救済申立」を行って、自分が置かれている状況とどうしてほしいかを訴えるといいですよ、とアドバイスすることくらいしか、私にはできませんでした。

その後、どうなったのか気になっていたら、服役を終えたその方から、お電話を頂きました。
結局、人権救済申立をした弁護士会から刑務所に対して、検査や治療を行うよう勧告が出され、検査を実施してもらえたということでした(勧告までに時間がかかってしまったので、検査終了直後に出所となったようです。調査には時間を要するので、やむを得ません)。

私は未熟者で、被疑者被告人の方と言い争いになることも、ごくたまにですが、ありますし、自分がやろうとしたことをご本人や身内の方に納得してもらえずに、関係が気まずくなるなどということも今までに経験してきました。

そういうことを経験するたびに、自分には刑事弁護なんて向いていないんじゃないかなと、ドツボにはまって落ち込んだりするのですが、いただいたお手紙や連絡のことなんかを思い出すと、また頑張るかな、なんて単純に回復するのです。

当たり前のことですが、どんな事件でも、担当した方が納得して喜んでくれるのが一番なんだな、と思う日々だったりします(難しいことなんですけどね)。


# by terarinterarin | 2014-06-11 19:25 | Comments(0)
この度、日本女性法律家協会という団体の幹事職を仰せつかることとなりました。

この団体は、1950年にGHQに所属していた米国の女性弁護士の示唆により設立された団体です。
弁護士、裁判官、検察官、法律学の教授ないし准教授などの役職にある女性で構成されています。
現在会員は900名弱。
法律文化の発展と会員相互の親睦を図ることを目的としております。
(以上、HPほぼ抜粋…)

この団体、幹事は任期を終える際に、別の女性法律家を紹介せねばならんという慣例があります。
この度、私の知人の女性弁護士が幹事の任期を終えるということで、声がかかりました。
で、会員になると同時に幹事という役職につくことになったわけです。

7日土曜日に日比谷図書文化会館で、2013年度の総会と懇親会がありました。
役員の交代もあるということで、初めて私も参加することになりました。

かなりな緊張感で、私は会場に向かいました。

大変、大変、大変失礼な話ですが、私、この協会のこと、「女性が!!」「女性の権利が!!」とマナジリ釣り上げて連呼する、おっかねえオバサン弁護士の巣、なんじゃないかと思っていたのです。

弁護士の仕事の過程で、女性が虐げられている状況などは何度も見ており、許し難いというか不条理な気持ちが自分自身にふつふつと湧いたことも、もちろん何度もありました。

が、たぶん、自分自身、今まで女として生まれてきたことによって損をしたと感じたことが(あまり)ない人生だったせいで、その個別の事件でのやりきれない感情から、運動的なところに走る…とはなりませんでした。
また、おそらくは、若いころに同性の集団からいじめらしきものを受けた、という経験も、「女性が一堂に会する」ということに若干の抵抗感を持つ一因であるように思います。

「怖い怖い女性運動家の集まり」みたいなところに入ってしまって、大丈夫か、自分、と思いつつ、総会に参加しました。

今、この場を借りて協会の大先輩の先生方に、土下座してお詫びしたい気分です。

そこにいたのは、「昔から求められてきた日本の女性像」と法曹という仕事をこつこつと両立させ、女性法曹の地位向上のために、静かな闘志を燃やし続けていた、冷静で熱い(そんじょそこらの男性よりよほど)男前の女性法律家のみなさんたちでした。

お互いに思いやりがあり、若い人にも分け隔てなく手を差し伸べ、初対面のぺエペエの私なんぞにも本当に暖かく接してくださる(そんじょそこらの男性よりよほど)懐の深い女性ばかりでした。

女性法律家がまだほんのわずかだったころ、男性社会の中で自分たちの地位を守るために肩を寄せ合ってきた、そんな息遣いが今でも残っている、暖かい場所だなあと感じました。
(注:これからのことを考えてお世辞を並べているわけではないので、信じてください!!)

そんなワンダフルな日本女性法律家協会ですが、現在大きな岐路に立たされています。

会員数が伸びないのです。
活動の原資は、会費と基金によって賄われます。
つまり、活動を縮小せざるを得ない危険性が出てきているわけです(まだ、そこまでではないんでしょうが、最悪解散とかに向かいかねない危険もあります)。

新規登録者や司法修習生、ロースクール生などを集めてキャリアアップセミナーなどを開催しているそうですが、セミナー自体は盛況ではあるものの、入会に結びつかないんだそうです。
懇親会で食事中、会員になっても、役職につかなければ、他の会員の顔が見えにくく、あまり意義を感じないんじゃないか、と言っている人もいました。

私も、今回幹事にならないかと言われて初めて会員になったくらいですから、その認識・分析は正しいなと思います。
ただ、実は、特に女性弁護士にとっては、今こそ女性法律家協会が「頼りになる存在」になれるときなんじゃないかな、と思っています。

最近の急な法曹人口の増加のために、司法修習が終わっても就職することができず、いわゆる「即独」する弁護士が増えています。
この就職事情、女性の方が男性よりも悪いであろうことは、想像に難くありません(私の時代ですら、女性の就職は大変でしたので)。

また、せっかくの司法修習時も、修習生の頭の中は就職のことでいっぱいです。
傍で見ていても、修習生の友人同士でゆっくり語らうということはあまりできていなさそうです。
みんなが就職のライバルというピリピリした感じもします(なお、私は修習は札幌だったので、当時の東京の修習生の状況がどうだったかはわかりません。あくまで「札幌修習」目線の発言です)。

つまり、若い法曹やその卵、ひとりひとりが孤立しているように見えるのです。

これ、危機的状況です。

「即独」してしまうと、周りの人との接点をとても持ちにくくなります。
事件処理の基本も誰にも教えてもらえない、やっていいことなのか悪いことなのか、わからないまま走りださなければならない。
(今は少ない資金で開業できるとはいえ)事務所を回すために、筋の悪い事件もたくさん受けなければならなくなる。
まずい状況に陥って、それでも誰にも相談することができず、精神のバランスを崩してしまう…

女性の場合、男性よりさらに立場が弱いため、セクハラパワハラの標的になりやすいという問題もあります(年長の男性弁護士の中には、事務所の面接に行っても、あからさまに「女の子は出産があるから、どれくらい仕事をふれるか読めない。だから基本的に入れたくない」なんて明言する人がいまだにいます)。

こういう人たちの駆け込み寺になれるのではないか?
サポートができるのではないか?
それって、女性法律家協会じゃないとできないんじゃないか?

と、もしかすると、とっくの昔にこんな議論されてたかもしれないのに、思いついてしまうわけです。

というわけで、つい昨日まで「女法協、おっかねえよお」なんて言ってましたけど、もうすぐ登録8年目になるわけですし、今回幹事になったことが、自分のことだけじゃなくて、もっと広い世界を考えるスタートになればいいな、と思っています。

お手伝いしてほしい人には容赦なく声をかけるつもりです。
声をかけられたみなさん、よろしく。









# by terarinterarin | 2014-06-09 01:49 | Comments(0)

仕事と受験と法律家。

以前にも書きましたが、テラバヤシは、受験生活の傍ら、働いておりました。

働いていたのは、今はなき某資格試験予備校の札幌校でした。
公務員受験講座の法律科目や論作文科目の非常勤講師をしておりました。

私がこの仕事をしていた頃は、かなりな不景気で(いや、今もさほどよくはないですが)、公務員の給与もまだそれほど削減されておらず、公務員試験の人気が高い時代でした。
1年浪人して受験続けるなんて当たり前、2浪、3浪という人もいました。

非常勤講師とはいえ、一番忙しい11月から4月までは、毎週4~5コマくらいの授業を持っておりました。
一番稼いでいたときは、修習生の時の給与よりも収入が多くありました。

旧司法試験は5月の第2日曜日(つまり母の日)にマークシート方式の択一式試験がありました。
択一式が苦手だった私は、わがままを言って試験前1週間のみお休みさせてもらいました。
公務員試験も間近に迫った大切な時期だったので、翌日にはまたすぐ仕事に出ました。

論文式試験は、7月の第3土曜日と日曜日に行われました。
この時期、地方の公務員試験は一次試験の合格発表が終わり、二次試験の論文や面接の対策が始まる頃でした。
いつもは一次試験の科目を教えている講師も、多くは、模擬面接の練習に駆り出されていました。

確か最終合格した年は、自分の論文試験の3日前に、公務員試験の2次試験対策の講義をしていました。
そして、論文試験が終わった翌日からは、模擬面接官の仕事が朝から晩まで連日びっちり入るという生活でした(あんまり模擬面接をビシバシやりすぎて、2ちゃんねるの「北海道公務員試験スレ」に「○○(学校名)のT林先生にボコボコにされたよ」と書き込みがされたこともありました)。

ここの予備校では8年間お世話になりました。
このうち5、6年は、今お話ししたような生活を送っていました。

こう書くと「仕事してなかったら、もっと早く受かっていたかもしれないね」などと思われる方もいるかもしれません。
実際、受験中も「仕事やめたらどうだ」と言われたことがあります。

しかし、私はそうは思っていません。

仮に仕事をせずに受験だけの生活を送っていたとしたら、私は最初に決めた「10年がんばろう」という信念を途中で放棄して、結局最終合格できなかっただろうと思います。

そして、仮に仕事をしていたために合格が遅れたのだとしても、それを補ってあまりあるものを得た、と思っています。

受験時代、仕事の合間に、控え室や近所のスタバで勉強しなければならないこともありました。
隙間時間を使うこと、「勉強なんて机と筆記具があれば出来る」ということを覚えました。いつでもどこでも勉強できるようになりました。

働いて、家にお金を入れて、税金も自分で払う(白色申告していました)という生活を続けて、自分は、ただの「ゴクツブシ」ではないと思えるようになりました。

社会との接点を持っている、社会に参加しているという意識を持つことが出来るようになりました。精神が安定しました。

それまで理解できなかった条文や判例の真意を、「働く」ということを通じて理解できるようになったこともありました。

講師の仕事は、実は教壇を降りてからが勝負でした。
質問に来た受講生にいかにわかりやすく解説するか、つまり、その人が本質的にどこで引っかかっているのか、理解することが必要でした。
おかげで人の話を聞く癖がつきました。

弁護士になって新人の頃、法律相談や接見をするときに、この癖が技術のなさをかなり補ってくれました。

10年の受験生活は、総括すると、落ち込んだりつらい気持ちになったりすることの方が多かったように思います。
泣きながら判例を読み続ける、なんていうこともありました。

しかし、それでも最後まで続けてこられたのは、仕事をしていたからだと思っています。

今は空前の資格試験ブームで、働きながらなにがしかの試験を受験される方も少なくない世の中です。
そして、そういう「受験生」の多くは、私のように時間の融通がある程度利く恵まれた仕事ではなく、ウィークデーをフルタイムで働く仕事についている方がほとんどです。

かつては、司法試験受験生の中にも、少数ながら、公務員をしながら、あるいは会社員をしながら受験していた方もいました(ついでに、同じクラスにはパチプロをしながら受験をしていた人もいました)。

現代の「学ぶサラリーマンやOL」のみなさんに心から敬意を表するとともに、司法試験ももう一度、「働きながら受験したい人」がそうできる資格試験に戻って欲しいと思うのです(注:少数ながら、夜間のロースクールというのもあるので、そちらに通いながら働くという方もいらっしゃるでしょう。また、いわゆる予備試験の受験者にはこのような人もいると思います)。

法律家は、いろんな経験をしておくことに越したことはないのですから。
# by terarinterarin | 2014-06-08 00:26 | Comments(0)

寺林智栄の弁護士としての日々や思いをつづります。


by terabayashi